魂のために-167
現在「魂」と言う言葉を使うとき、霊魂とか霊とか、心の活力、核となる大事なもの、固有の精神とかの意味になるようだ。
霊魂とか霊とかは、肉体を離れても存在し、不滅だと信じられてきた。だが、現在周りの人を眺めても、魂を失った人はゴロゴロいるし、動物システムや植物システムに魂が転落した人もざらに見かける。
こんなことは、もちろん人類が初めて経験することであり、気づかないことの方が多いのだが、裁…
日常生活において、ことある毎に判断ができない、判断がついても正しいかどうか分からないと悩む。
教養だ、修養だと人が努力するのは、感受性を向上させることに他ならないが、そうすることで何が変わるのか。
自分の内面も含めた世界の認識が変わる。
だが、果たしてその認識は、正しいのか。
自分の感受性ばかり鋭くなって、普通の感受性の人との認識が乖離(かいり)していけば、独り善がりの誹(そし)りを免れないし、何のための努力か分からない。
万人に共通する確固とした物差しはないのだろうか。
ずっと長い間、人の肉体は物質としての性質しか持っていないと思っていたが、素粒子が粒子と波動の2つの性質を持つように、人の肉体もその他の身体も、つまり4身体も、波動を持っていることを知った。
また人は、プラーナ(生気)を放出・吸収する4系統のチャクラを持っていることも知った。このそれぞれの7つの主なものが、それぞれに特有の波動を持ち、これが確固とした物差しとなってくれる。
それが確認できることは言うまでもない。特殊な能力など必要ない。誰しもに備わっている本分を、つまり波動の感覚を、使うだけで良いのだ。
ここでこれから公開するエッセーは、独り善がりの感受性の押し売りではなく、万人に共通する物差しを持った、万人が確認できる尺度を使った感性の著述のつもりである。
あっちの藪の中は真相がはっきりしないが、こっちのやぶの中は何らかの気づきがあるはずである。
さあ、ずっと入られよ。
テーマ:禁戒・勧戒