○×できない創造主-463
2021年11月4日、『あるブログの管理人とある読者と-394』(2020年10月25日)に「あー」なる人物よりコメントが入る。
「四次元で楽しんでるね〜」
したり気な文の四次元が何を意味しているのか、3次元に時間を足した物理的4次元なのか、単に霊的な世界を表しているのか、そこで誰の何が楽しんでいるのか、肉体・幽体(エーテル体・アストラル体・メンタル体)・コーザル体のどれなのか、分からな…
日常生活において、ことある毎に判断ができない、判断がついても正しいかどうか分からないと悩む。
教養だ、修養だと人が努力するのは、感受性を向上させることに他ならないが、そうすることで何が変わるのか。
自分の内面も含めた世界の認識が変わる。
だが、果たしてその認識は、正しいのか。
自分の感受性ばかり鋭くなって、普通の感受性の人との認識が乖離(かいり)していけば、独り善がりの誹(そし)りを免れないし、何のための努力か分からない。
万人に共通する確固とした物差しはないのだろうか。
ずっと長い間、人の肉体は物質としての性質しか持っていないと思っていたが、素粒子が粒子と波動の2つの性質を持つように、人の肉体もその他の身体も、つまり4身体も、波動を持っていることを知った。
また人は、プラーナ(生気)を放出・吸収する4系統のチャクラを持っていることも知った。このそれぞれの7つの主なものが、それぞれに特有の波動を持ち、これが確固とした物差しとなってくれる。
それが確認できることは言うまでもない。特殊な能力など必要ない。誰しもに備わっている本分を、つまり波動の感覚を、使うだけで良いのだ。
ここでこれから公開するエッセーは、独り善がりの感受性の押し売りではなく、万人に共通する物差しを持った、万人が確認できる尺度を使った感性の著述のつもりである。
あっちの藪の中は真相がはっきりしないが、こっちのやぶの中は何らかの気づきがあるはずである。
さあ、ずっと入られよ。
テーマ:ブッディ