三角関係を好意から読む-169

 人が人をどのくらい好きなのかを知りたいとき、何を測ったら良いのだろう。
 まず思い浮かぶのは、愛だが、知っているのは、隣人愛・自己愛・夫婦愛・全生命への愛・神への愛の5相であり、恋人なら隣人愛、夫婦なら夫婦愛だろうが、夫婦愛はまだしも隣人愛では恋人に限ったことではなく、更に恋人以外にも変わらぬ愛が求められることすらあり、括(くく)りが広すぎたり、お門違いだったりする感が否(いな)めない。
 次に思い浮かぶのは、好意である。愛の初段階と受け取れるが、愛が深まっても、なくなりも薄まりもしないから、愛とは別物である。愛のようであって、愛ではない。それでは何だろう。性格か、品格か、徳目か。
 竹下雅敏氏の

教育プログラム(3):品格』2010/05/25 6:00 AM

 で教えられている方法で調べると、好意は徳目になる。
 講義の中で例として挙げられている依頼心は、品格「嫉妬、忍耐、貞操、復讐心、寛容、頑迷」で「忍耐心+寛容+頑迷」だから、好意は16徳目「無我、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪、識別、無執着、利他、清浄、知足、苦行、読誦、最高神への信仰、離欲、全託」のどれかの要素の組み合わせになるのだろう。
 品格の要素のうち、嫉妬、復讐心、頑迷は低ければ低いほど良く、忍耐、貞操、寛容は高ければ高いほど良いが、徳目になるとどの要素も低くてはならず、高ければ高いほど良いことになる。
 好意も高いに越したことはないのだろうが、相手によっては挫けてしまう自分が居て、人徳者にはほど遠いことが窺われる。
 人徳者云々(うんぬん、決してでんでんではない)は措いといて、好意が個人間でどうなっているのか、歴史に残る三角関係を見てみる。
 まずは、天智天皇、天武天皇、額田王(ぬかたのおおきみ)。

「・茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)
・紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)
 の2首などをめぐって天智・天武両天皇との三角関係を想定する理解が一般にあるが池田弥三郎・山本健吉が『萬葉百歌』でこの2首を宴席での座興の歌ではないかと発言して以来こちらの説も有力視され学会では通説となっている」(Wikipedia『額田王』より)

 ここで2首の作られた蒲生野行幸668年の3者の好意を見てみる。

天智天皇の天武天皇への好意(668年)ー3
天智天皇の額田王への好意(668年)ー-1
天武天皇の天智天皇への好意(668年)ー1
天武天皇の額田王への好意(668年)ー-2
額田王の天智天皇への好意(668年)ー2
額田王の天武天皇への好意(668年)ー4

 額田王と天智天皇の天武天皇への好意があることが分かるが、4になると好意と言うより愛情と言った方が良いような気がする。と言っても、愛ではなく“強い好意”という意味である。額田王は天武天皇との間に十市皇女(とおちのひめみこ)を生んで15年ほど経っているから、乙女の熱情と言ったものではなく、冷静さを失わないものだろう。
 両天皇は額田王への好意がほとんどないと言っても良いが、それでも天智天皇の方が天武天皇より1ランク高い。
 ここで3者の愛と野心を見ておく。

天智天皇
 愛(668年)ー0ー0ー0ー0ー0(動物レベル)
 野心(668年)ー7ー7ー7ー7ー7(人間レベル)
天武天皇
 愛(668年)ー0ー0ー0ー0ー0(動物レベル)
 野心(668年)ー5ー5ー5ー5ー5(人間レベル)
額田王
 愛(668年)ー4ー4ー4ー4ー4(人間レベル)
 野心(668年)ー1ー1ー1ー1ー1(動物レベル)

 両天皇は嫌悪すべき愛のない野心家であり、額田王は人が目指すべき段階をクリアしていると言える。
 両天皇の額田王への愛を見てみると、

天智天皇の額田王への愛(668年)ー0(動物レベル)
天武天皇の額田王への愛(668年)ー0(動物レベル)

 となり、好意のときと違って区別できなくなる。
 『額田王 千人万首』に

「池田彌三郎『萬葉百歌』から引用すれば」

 として下記が載っている。

「これは深刻なやりとりではない。おそらく宴会の乱酔に、天武が武骨な舞を舞った、その袖のふりかたを恋愛の意思表示とみたてて、才女の額田王がからかいかけた。どう少なく見積もっても、この時すでに四十歳になろうとしている額田王に対して、天武もさるもの、『にほへる妹』などと、しっぺい返しをしたのである」

 池田彌三郎氏の解釈に異議はない。先にも述べたが、両天皇の額田王への好意はほとんどない。それより異父(舒明天皇、高向王)兄弟への好意の方が勝っており、三角関係は成り立たない。
 次は、谷崎潤一郎、その妻千代、佐藤春夫。

「1921年・・・谷崎潤一郎が妻千代に冷淡なのを見て同情から恋に変わり、谷崎はいったん佐藤に妻を譲ると言うが、谷崎は妻の妹せい子(『痴人の愛』のナオミのモデルとなった女優・葉山三千子)と結婚するつもりでいたがせい子に断られ、妻が惜しくなって前言を翻したため、谷崎と交友を断つ。谷崎は当時小田原に住んでいたためこれを小田原事件という。失恋に苦しみ、代表作である「秋刀魚の歌」(詩集『我が一九二二年』所収)などで千代への思慕を歌った」(Wikipedia『佐藤春夫』より)

佐藤春夫の谷崎潤一郎への好意(1921年)ー2
佐藤春夫の谷崎潤一郎妻千代への好意(1921年)ー4
谷崎潤一郎の佐藤春夫への好意(1921年)ー0
谷崎潤一郎の妻千代への好意(1921年)ー2
谷崎潤一郎妻千代の谷崎潤一郎への好意(1921年)ー2
谷崎潤一郎妻千代の佐藤春夫への好意(1921年)ー4

佐藤春夫の谷崎潤一郎への好意(1922年)ー3
佐藤春夫の谷崎潤一郎妻千代への好意(1922年)ー4
谷崎潤一郎の佐藤春夫への好意(1922年)ー2
谷崎潤一郎の妻千代への好意(1922年)ー3
谷崎潤一郎妻千代の谷崎潤一郎への好意(1922年)ー2
谷崎潤一郎妻千代の佐藤春夫への好意(1922年)ー4

 佐藤春夫と千代の好意は、お互い愛情のレベルにあり、1921年と1922年との変わりはなく一貫しているが、驚くのは千代の谷崎への好意で、好意がないのレベルで一貫していることである。
 谷崎と佐藤のお互いへの好意は、事件後に、普通なら減って当然と思うのだが、逆に増している。
 谷崎の妻への好意は、ないからあるに変化している。まさに惜しくなったのである。
 谷崎と葉山三千子の好意も見ておく。

谷崎潤一郎の葉山三千子への好意(1921年)ー4
谷崎潤一郎の葉山三千子への好意(1922年)ー3
葉山三千子の谷崎潤一郎への好意(1921年)ー2
葉山三千子の谷崎潤一郎への好意(1922年)ー1

 谷崎が三千子と結婚するつもりだったのは、上記の数値からも合点がゆく。谷崎の三千子への好意は、愛情から好意があるレベルへダウンしているが、それでも妻への好意と変わらない。
 三千子の谷崎への好意は、好意がないのレベルが、結婚を断ったことで、一段と悪化している。
 最後は、中原中也、小林秀雄、長谷川泰子。
 京都で知り合い同棲した中也と泰子は、1925年中也の大学受験のために東京に住まいを移し、秀雄と知り合い、泰子は中也の元から秀雄の元へ走る。

中原中也の小林秀雄への好意(1925年)ー4
中原中也の長谷川泰子への好意(1925年)ー4
小林秀雄の中原中也への好意(1925年)ー2
小林秀雄の長谷川泰子への好意(1925年)ー5
長谷川泰子の中原中也への好意(1925年)ー2
長谷川泰子の小林秀雄への好意(1925年)ー5

 中也の秀雄と泰子への好意は、愛情であるが、お互い強い愛情を持つ秀雄と泰子は、中也への好意はない。中也1人が割を食っている。
 だが、中也は自身の想いより、2人の想いの方が強いことを感じていただろう。また、自分が蚊帳の外にいることも、同時に感じていた。それでやむなく身を引いたのである。
 三様の三角関係を、好意の視点から、それもただ見方を変えるだけでなく、好意を数値化して見てきたが、竹下雅敏氏の言う「霊的な科学」的な事実を加えることによって、一層事実が客観的に見えてくるように思われる。

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