歴史上の有名人の無意識レベルのカルマー146

 カルマの軽重が何を表しているかと言えば、その人が今までにどれだけ悪をなしてきたかの積算である。軽い人は軽い分の悪しかなしてこなかったのであり、重い人は重い分の悪をなしてきたのである。またこれから、元素のイオン化傾向のように、人の悪をなす傾向も瞭然としてくる。
 それを実感するために、歴史上の有名人の無意識レベルのカルマを見てゆく。

卑弥呼243年ー2(人間レベル)
倭迹迹日百襲姫命243年ー2(人間レベル)

 『魏志倭人伝』の伝える倭国の女王と、「第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳(奈良県桜井市)伝承で知られる、巫女的な女性である」(Wikipediaより)倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は、共に2(人間レベル)となった。
 竹下雅敏氏は2人は同一人物であるとしておられ、Wikipediaにも『卑弥呼#倭迹迹日百襲姫命説』)が載っている。それで確認のため、2人のカードを重ねてみると同調するから、やはり2人は同一人物と言うことになる。また、肉体を感じるので、現在地上に転生しているようである。

清少納言996年ー4(人間レベル)
紫式部1008年ー3(人間レベル)

 女流作家の草分けであり、文筆の才能も超越(動物レベル)に達した2人は、カルマも軽く、良好な人物と言って良いだろう。
 ところが、『紫式部日記』の清少納言評に見られる「殆ど陰口ともいえる辛辣な批評」(Wikipedia『紫式部#紫式部日記』より)が色々取り沙汰される。「もっとも本人同士は年齢や宮仕えの年代も10年近く異なるため、実際に面識は無かったものと見られている」「近年では、『紫式部日記』の政治的性格を重視する視点から、清少納言の『枕草子』が故皇后・定子を追懐し、紫式部の主人である中宮・彰子の存在感を阻んでいることに苛立ったためとする解釈が提出されている」(同上)
 そこで、2人のお互いに対する好意を調べてみたところ、紫式部の清少納言への好意は5(人間レベル)で、清少納言の紫式部への好意は4(人間レベル)となった。これは予想外に高いもので驚いたくらいである。

マルコ・ポーロ1324年ー4(人間レベル)
フランシスコ・ザビエル1549年ー1(人間レベル)

 『東方見聞録』を口述したマルコ・ポーロは、カルマが軽く純真な冒険家と言って良いのではないか。
 「ジパング」を西欧に知らしめた。
 「北京市の南西約15㎞の盧溝橋は『世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ』と記されたことから、西欧では『マルコ・ポーロの橋』と呼ばれる。日本では、日中戦争の発端となった『盧溝橋事件』で知られる」(Wikipediaより)
 竹下雅敏氏の『教育プログラム:カルマ』で暴露されたように、どの宗教の開祖も驚くほど一様にカルマが重く、似た者が宗教に蝟集する感があるから、フランシスコ・ザビエルも、もっと重いと想像していたが、想像していたよりこれでも遥かに軽い方である。カルマが1だから、愛は1より上には上昇しない。そんな人物が、愛を説くカトリックの聖人である。

新井白石1716年ー3(人間レベル)
本居宣長1799年ー6(人間レベル)

 この2人も、文筆の才能は動物レベルの超越(9)である。それぞれ随筆『折たく柴の記』『玉勝間』がある。白石もカルマは軽いが、宣長に至ってはほとんどカルマはないと言って良い。
 白石は朱子学者であり、宣長は国学者であり、四大人の一人である。
 宣長は『源氏物語玉の小櫛』において「もののあわれ」を提唱した。

「『源氏物語』の中にみられる“もののあはれ”という日本固有の情緒こそ文学の本質であると提唱し、大昔から脈々と伝わる自然情緒や精神を第一義とし、外来的な儒教の教え(“漢意”)を自然に背く考えであると非難し、中華文明を参考にして取り入れる荻生徂徠を批判したとされる」(Wikipedia『本居宣長』より)

 時代が重なれば、宣長は白石をも批判したことだろう。
 だが、『夫婦(54):朱子学:窮理居敬 〜 竹下雅敏 講演映像』で指摘されるように、「居敬が第一でその次に学問が来なければならないのに、現代の教育には居敬が抜け落ちて、職を得るための知識だけになっている」から、今こそ朱子学が必要なときではないか。

マシュー・カルブレイス・ペリー1853年ーー1(動物レベル)
ダグラス・マッカーサー1945年ーー1(動物レベル)

 黒船来航の提督ペリーも占領軍最高司令官マッカーサーも、共にカルマはぐっと重い。軍人だから、それもアメリカの、と思うが、2人の愛と野心も調べてみる。

マシュー・ペリー1853年
 愛ーー1ーー1ーー1ーー1ーー1(動物レベル)
 野心ー8ー8ー8ー8ー8(人間レベル)
ダグラス・マッカーサー1945年
 愛ーー1ーー1ーー1ーー1ーー1(動物レベル)
 野心ー8ー8ー8ー8ー8(人間レベル)

 全くの一緒。まさか、また同一人物か。
 先の2人は同時代だったから、ピッタリ一致しても不思議はないが、この2人は検知した年で92年の隔たりがある。同一人物と言うことはないが、同一の魂ならあり得ないことはない。
 恐る恐る、カードを重ねる。
 同調する。驚いた。何ということだろう、2人は同一の魂である。日本に開国を迫った魂と日本を占領した魂と。マッカーサーのフィリピンでの敵前逃亡ではなく、これこそ「アイ シャル リターン」の真相ではあるまいか。

徳川慶喜1867年ー2(人間レベル)
坂本龍馬1867年ー4(人間レベル)
勝海舟1867年ー4(人間レベル)

 日本の最後の征夷大将軍のカルマは、どこぞの軍人などとは違って、人間レベルの2もある。
 龍馬と言い、勝と言い、カルマは人間レベルの4と軽い。『光と闇ー145』で見たニキータ・フルシチョフも一緒である。政治家のカルマが皆このランクだったら、政治が大きな過ちを犯すことはないだろうに・・・。

ウィリアム・スミス・クラーク1871年ーー1(人間レベル)

 「札幌農学校1期生との別れの際に、北海道札幌郡月寒村島松駅逓所(現在の北広島市島松)でクラークが発したとされるクラークの言葉が、Boys, be ambitious like this old man.」(Wikipedia『ウィリアム・スミス・クラーク』より)

 そこでクラークの愛と野心を調べてみる。

クラーク1876年
 愛ーー1ーー1ーー1ーー1ーー1(人間レベル)
 野心ー5ー5ー5ー5ー5(人間レベル)

 これを見て素直に翻訳すれば、「少年よ、この老人のように愛薄き野心家たれ」となる。“愛薄き野心家”など、教育者としても、人間としても、劣等である。「少年よ大志を抱け」は翻訳が優秀すぎて、誤解を生んだものと見える。
 「野心的であれ」は『1:1000ー144』で述べた「嘘も方便」と同様、箴言(しんげん)にはならない言葉である。
 カルマが愛の上昇を限定し、野心が愛の成長を妨げるから、カルマと野心は第一になくさなければならない。
 野心満々の人間に、野心を削れと言ったところで、素直に受け入れられ実行されることはまずないだろう。根本のエネルギー源が誤りだったとしたら、それも順調そうに走っている最中だったら、一体誰が一端止まってエネルギー源の見直しを始めるだろう。そのまま突っ走ってゆくに決まっている。そしてその先には、大概、断崖絶壁が待ち構えているものである。

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