汚穢への頽廃その3ー139

 シャンティ・フーラの時事ブログ2013/09/08 10:48 PM
『天界の改革11 
悪しきホツマの神々の処刑、協力者たちのヴィジョン』
「2009年1月8日 午前9時30分、全軍出動。悪が滅びる。
1月11日 午前1時30分 皇族の消滅」

 2009年1月11日、天界の改革において、天照大神と豊受大神一統が処刑され、皇族が消滅した。
 天界で起こることは、また地上でも起こる。
 皇室の闇が暴露される。こういうことが起きること自体が、消滅へと向かう端緒となる。このブログでも『汚穢への頽廃』『汚穢への頽廃その2』で扱った。

 シャンティ・フーラの時事ブログ2016/12/05 10:30 PM
『[ザウルスでござる]ついに愛子様の影武者を立証! 客観的、科学的、数値的に証明! 日本人必見! 〜宮内庁に説明を 闇が多すぎる皇室〜』
「転載元) ザウルスでござる 16/12/5

 外国人の替え玉については、ネットでも随分前から話題になっているが、ここに来て日本の皇室に焦点が当てられた。
 『ザウルスでござる』では、中学入学時の愛子様と比べて、“目歯比率”に加え“耳の高さ”も違うとして、15歳を迎えられたとして公表された写真は替え玉であるとしている。
 そもそも愛子様には誕生にしてから重大な問題がある。

 シャンティ・フーラの時事ブログ2015/11/20 10:00 PM
『[竹下雅敏氏]橋本龍太郎が大室家に繋がることを示す情報 〜雅子妃が強い精神的ショックを受けた事実〜』

 愛子様は人工授精によって生まれたが、受精する卵子は雅子妃のものではなく、橋本龍太郎と愛新覚羅華齢の子の和子のものだった。これを聞かされた、子宮さえ使われなかった雅子妃は、自分の存在理由並びに結婚の意義を、一時完全に喪失してしまった。
 徳仁(なるひと)親王自身が天皇皇后の子ではなく、徳川恒孝と迪子(みちこ)の子であり、どうりで「徳」の字が使われているわけだが、今上天皇も昭和天皇の子ではなく三笠宮の子である。
 秋篠宮は美智子皇后と入江相政(すけまさ)侍従長の不倫の子である。こんなことをしてただでは済まぬと思うが、皇后にも替え玉説があり、1993年に失声したことなどを踏まえると、日本を支配する血筋の意に添わぬことを咎められた可能性もある。
 なお、日本を支配する血筋は、以下に載っている。

 シャンティ・フーラの時事ブログ2015/12/03 4:00 PM
『[竹下雅敏氏]大正天皇の子女の配偶者及び、昭和天皇の子女の配偶者の血筋 〜明治維新を首謀し、日本を支配する血筋〜』
「下に簡単な系図があります。ご覧になると、わずかな一族によって占められているのがわかると思います。伏見宮家、鷹司家、徳川家、松平家、島津家が目に留まります。
 これらの系図からわかることは、明治維新がこれらの家柄の者たちによる陰謀であったということです。この系図に出て来る家系の者たちが、日本を支配する血筋だと言えます。彼らと財界人との間に姻戚関係による強固なネットワークが築かれているはずです。(竹下雅敏)」

 血統を重んじる者の考え方は到底分からないが、こうして見てみると、個の存在など歯牙にも掛けずに、ただ全体として辻褄を合わせているだけで、本当に重んじているのか訝しいもののようである。血統さえ繋がれば、人倫に悖ろうが何をしても良いように映る。しだらない行いが横行するのも、血統という金科玉条があるからにほかならない。
 これに通じるものが選民思想であり、血族にスポットライトを当てて、光るところしか敢えて見ないで行動するが、血族に紛い物が成り代わっての好き勝手な行動は、周りから見れば、濫行(らんぎょう)にしか映らないものである。
 常習的に不節操なことをする血族を、誰が支持し、残そうと思うだろう。この世の不幸の大半は、これら血族の我が儘のし放題から来ていると言えるのだから、これら血族を一掃する案も、当然ながら考えられる。
「王侯将相安んぞ種あらんや」
 王や諸侯、将軍、宰相は、生まれたときから決まっているのではない、誰にでも成れる、と言ってのけた農民出身の陳勝は、史上初の中国統一を遂げた秦朝に対して反乱を起こしたが、討伐軍に討たれた。

陳勝・紀元前209年
 愛ー0ー0ー0ー0ー0(人間レベル)
 野心ー8ー8ー8ー8ー8(人間レベル)
始皇帝・紀元前210年
 愛ー3ー3ー3ー3ー3(人間レベル)
 野心ー2ー2ー2ー2ー2(人間レベル)
始皇帝・紀元前221年
 愛ー2ー2ー2ー1ー1(人間レベル)
 野心ー8ー8ー8ー8ー8(人間レベル)

 誰にでも成れる、だから己がなる、とは普通ならないのだが、陳勝の野心は人間レベルの8(完成)もあり、一歩を踏み出すのに充分過ぎるものだった。
 因みに始皇帝の愛と野心も調べてみたが、紀元前210年の野心だと、史上初めて中国を統一した割に低すぎるから、改めて紀元前221年で調べると、納得した。
 『愛と野心その4ー121』で日本の戦国時代に活躍した三英傑の愛と野心も調べているが、『真実の手がかりー133』で見たように、本物の家康は1615年5月7日に死んでいることが分かったので、1616年だと影武者のものかも知れないから、1614年で改めて調べてみる。

織田信長1582年
 愛ー7ー7ー7ー7ー7(動物レベル)
 野心ー9ー9ー9ー9ー9(人間レベル)
豊臣秀吉1598年
 愛ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 野心ー7ー7ー7ー7ー7(人間レベル)
徳川家康1614年
 愛ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 野心ー6ー6ー6ー6ー6(人間レベル)

 豊臣秀吉を太閤となった1591年、徳川家康を関ヶ原の戦いの1600年で調べてみる。

豊臣秀吉1591年
 愛ーー2ーー2ーー2ーー2ーー2(人間レベル)
 野心ー9ー9ー9ー9ー9(人間レベル)
徳川家康1600年
 愛ーー3ーー3ーー3ーー3ーー3(人間レベル)
 野心ー9ー9ー9ー9ー9(人間レベル)

 戦国の世の覇者として頂点に立つとき、三英傑の野心は共に人間レベルの9(超越)だった。そこから、信長以外の2人の愛は晩年に掛けて漸増し、野心は漸減しており、成長が窺える。信長も生きていたら、きっとそうなっていたことだろう。
 さて、次に直近の三代の天皇を見てみる。

明治天皇1867年
 愛ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 野心ー9ー9ー9ー9ー9(人間レベル)
大正天皇1911年
 愛ー3ー3ー3ー3ー3(人間レベル)
 野心ー2ー2ー2ー2ー2(人間レベル)
昭和天皇1925年
 愛ー1ー1ー1ー1ー1(人間レベル)
 野心ー6ー6ー6ー6ー6(人間レベル)

 明治天皇や昭和天皇の愛と野心は、戦国時代に遡ったのかと勘違いしそうであり、大正天皇の愛と野心は、死ぬ間際の始皇帝と同じである。
 それでは江戸時代の天皇はどうだろう。天皇の後ろの年号は即位の年である。

後陽成天皇1586年
 愛ー3ー3ー3ー3ー3(人間レベル)
 野心ー2ー2ー2ー2ー2(人間レベル)
霊元天皇1663年
 愛ー3ー3ー3ー3ー3(人間レベル)
 野心ー2ー2ー2ー2ー2(人間レベル)
桜町天皇1735年
 愛ー4ー4ー4ー4ー4(人間レベル)
 野心ーー2ーー2ーー2ーー2ーー2(人間レベル)
孝明天皇1846年
 愛ー3ー3ー3ー3ー3(人間レベル)
 野心ー0ー0ー0ー0ー0(人間レベル)

 愛は、桜町天皇に豊かな4を見、他の天皇すべてにあと一歩の3を見るように、賞讃はできないものの許容できる範囲ではある。ところが、野心の方はすべての天皇が人間レベルである。これだけ野心が高いと、神輿に担がれやすくなる。ただでさえ利用する機会を絶えず狙われる立場にあるのだから、恬淡に超したことはない。また基本に戻れば、野心は愛の育みを阻むものであるから、できるだけ低い方が良い。
 野心の9(人間レベル)もある明治天皇は、日本を支配する血筋によって送り込まれた替え玉であり、野心の6(人間レベル)もある昭和天皇は、安易にブレーキの利かない陸軍の肩車に乗ってしまった。野心2(人間レベル)の大正天皇は、直接的な関与こそなかったが、貞明皇后の替え玉によって、胤の違う親王が量産された。昭和天皇もその1人である。
 皇室は、悪のスパイラルの渦中に嵌まり込み、錐揉み状態であり、存続したって悪くなるばかりで望みもない。時あたかも生前退位が話題になっているが、天皇廃位を含めた議論をした方が良さそうだ。
 「ゲスの極み・・・」とか言うグループのメンバーが不倫をして、以後やることなすことすべて「ゲスの極み」に集約される。これで70年代半ばに聞いたことを思い出す。ある自営業者が、会話の中で、自分の仕事を「乞食商売」と言い慣わしていたところ、仕事に失敗して本当の「乞食」になったという。
 日本は言霊の幸う国である。あたら言葉を疎かにしてはならない。冠に使う言葉によって本体に並々ならぬ影響が及ぶ。
 だから、象徴天皇なら良いとか軽く考えてはならない。象徴が腐っていれば、国が腐ってしまうからである。
 新時代に向けて、日本が心機一転するためには、やはり廃位が欠かせないものだろう。 

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この記事へのコメント

  • 滝山善一

    大正上皇嘉仁陛下と、平成上皇明仁陛下の来歴について、修正条項として、次の情報を推奨します。

    『シャンティフーラの時事ブログ』【竹下雅敏】当事者しか知りえない皇室関係者からのきわめて重要な情報公開(2015年12月24日の記事)

    上記情報の、補足事項です。
    殉死したことになっている、乃木希典氏は、テロに襲われ、奥様と部下の一人が身代わりになって死んだ。奥様は、抵抗されたようで、遺品の短刀に刃こぼれが残っています。
    希典氏は,北陸の氷見市に隠れ住み、昭和年代まで、生存している間、国は、戦を始められなかったという。
    大正天皇は、外出中にテロに襲われ負傷した、そのすきに裕仁が即位した。
    大正上皇嘉仁陛下は、北陸の氷見市に隠れ住み、1970年秋まで生存した。
    裕仁には男の子供はいない、他家から貰い子をして皇太子家を創設した。テロがあり候補の二人が殺されたのち、3人目の候補として、石垣純二の妹の息子が選ばれて宮中に上げられた。
    平成上皇明仁陛下には妹がいたが、1982年10月23日頃に、私の母、瀧山澄子に看取られて病気で亡くなった。
    私の父の名は榮徳であるが、彼のために、日本の平和が崩されていき、悪人達に国を明け渡す契機になったと聞いている。
    2020年07月15日 22:08
  • 弥生艶葉樹

     滝山善一さん
     あなたの母様は、徳川慶喜・西郷隆盛・伏見宮家の血筋で、明仁上皇の実の妹を妹としておられた、と言うことですね。
     歴史的人物と雲の上の人と、錚々たる人物に関係なすったお方とお見受けします。あなたの波動の高さも、そこに理由があるのかも知れませんね。
    2020年07月16日 11:48
  • 滝山善一

    少し違います、母の瀧山澄子は、竹下雅敏様が北白川宮家の末裔と査定しておられる石垣純二氏と最愛の女性との間に産まれた娘です。
    昭和帝の元で、娘として育てられていました。

    母の瀧山澄子は、瀧山家の長女として戸籍を作られただけの事で、実子養父母に預けられた状態でした。
    志げが離縁されて、国に帰るときに攫われてきたのです。母は、中田~石垣~中田~瀧山志げの子ではありません。志げと純二の間に子は出来ませんでした。
    志げの父親であった、中田九松=徳川五郎衛門氏が昭和帝を、脅しゆすって皇族家の一つに娘を嫁入りさせ、離縁された際に子供を一人人質に預かってきたのでした。
    この時点で、中田久松の家の納屋には、大正上皇陛下が住んでいました。
    (没年がはっきりしませんが)その家の隣には乃木希典氏が隠れ住んでいた家があります。

    志げの、夫になった瀧山勇作には恋人がいました、何でも、後に右翼の大物になった人物の姉だったそうです。恋人と別れさせて、志げが勇作の嫁になりました。

    上皇が匿われていたのは、志げの父親の家でしたから、近所なので、みんな身内のように育っています。

    この他にも、闇がいっぱいあります。
    瀧山勇作氏は戸大工、今でいう建具屋をして一家を支えていました。従業員も雇っていたそうで、裕福な時代もあったようです。
    母の子供の時に、橋本龍太郎氏が預けられてしばらく暮らしていたことがあったそうです。

    時代は飛びますが、橋本龍太郎氏が総理大臣になってから、彼は私がどこに勤めているのか調べ、読売の末端にいることを突き止めたそうです。
    ですが、私は、1997年に私に来ていた政略結婚話を粉砕しました。それで、私の子を宮中に上げる話は終いになりました。
    良かった、よかった。
    2020年07月16日 15:04
  • 滝山善一

    瀧山勇作氏の姉の子が、今は故人となりましたが、森隆夫という名の御茶ノ水大学の教授でした。
    勇作氏の祖父が西郷隆盛と聞いています。西南の役の前に子どもたちを預けに来たようです。
    勇作氏は、上皇陛下の実父の大学教授を金銭的に助けていた時期もあったそうです。
    整合するのか、わからない話ばかりですが、聞いている話なので、申し訳ない。
    2020年07月16日 15:12
  • 弥生艶葉樹

     なるほど、伏見宮邦家の子孫に北白川宮があります。徳川慶喜・西郷隆盛は戸籍上の血筋なのですね。
     上流社会もすぐに命を狙われるので、複雑にならざるを得ないのでしょうね。
    2020年07月16日 16:55
  • 滝山 善一

    もう一つ書いておきたいこと。

    昭和帝皇太子候補暗殺テロ事件。これは2回ありました、聞いている範囲で書きます。
    一人目の皇太子候補の方は、刀剣で襲撃されたようです。この時最初の良子妃が、背中を切られて重傷を負いました。昭和帝の奥様は、姉と妹の姉妹でしたのでこの後、石垣純二の恋人だった女性が昭和帝裕仁のところへ、行かされたようです。
    テロで、大けがをされた、初代の良子様のほうは、怪我が回復したのちに、一般企業に勤めたようです。
    母は、二人目の良子様になられた女性の恋人だった石垣純二との間に産まれた娘だったと推察しています。

    二人目の皇太子候補は、従者と共に東京市内を馬車で移動中に、前と後ろを、鉄の箱車に挟み込まれ、板のように骨まで、ぺしゃんこにされて、殺されました。
    きゃあきゃあと叫ぶ、悲鳴を聞いたという目撃証言もあったそうです。
    しかし、すぐに事件現場は清掃され、無かったことにされました。

    その後に、既に書いたとおり、3人目の候補が実母に手をひかれて、宮中に届けられたのです。

    殺された二人の皇太子候補がどこの誰だったのかは、知りません。竹下様の見立ての通りなら、一人は三笠宮家からの貰い子だったでしょう。

    2015年12月の私の情報暴露のために、目論見を外された皇族家の方々が、失望して亡くなったことでしょう。三笠宮の爺様とか、髭の殿下とかが、それにあたります。
    恨みを買っているかもしれませんが、事実であるので致し方ありません。

    これらの皇族テロに関しては、犯人たちの目星はついています。ロシア共産党ではありません。
    詳しく言いなおします。
    母が、1980年代初頭に招かれて、ソビエトロシアのソチでの国際会議に出席した折に、聞いた話です。
    共産主義を解体していくための会議だったそうです。
    その席上で、ソビエト代表が、「我々は、日本の皇室の生命を狙ったことはありません。それをしたのは、中国の奥地に隠れていたもの達です。」という証言を得ています。

    これは、誰のことでしょう、裏天皇のことでしょうか?、聞いていないことなので、容疑者は不明です。

    私の母の実母と、石垣純二の嫁になった志げさんとは、ともに皇居に住み一緒に家内労働を習った仲だそうです。そうして、志げさんが故郷に帰るときに、娘を託したようなのです。
    後のことは、プライベートの話なのでここでは書きません。
    2020年07月17日 02:04
  • 滝山 善一

    昭和帝皇太子暗殺事件は秘密にされたままです。
    従って残念ながら、容疑者が立件されることも有りません。
    しかし、プラズマ界のほうでは、正義派によって解決済みと考えています。
    2020年07月17日 02:19
  • 滝山善一

    皇太子暗殺テロ事件の容疑者には、目星がついていると書きましたが、私の判断ですし聞いてはいないことなので、省かせていただきました。

    ソビエトロシア側の証言から、時代背景と照らし合わせて、判断されればよいと思います。
    どうせ、天界の改革時に、片付いているはずの事件です。
    2020年07月17日 07:57
  • 滝山 善一

    お世話になります、補足事項を追加します。
    大正上皇嘉仁陛下は、中田九松=徳川五郎衛門に人質に取られた。
    その方法は、九松の弟が関東大震災を生き延びていた話をでっち上げて、弟の戸籍を嘉仁陛下に使わせた、弟のことを、方言では「おっさま」と呼ぶ。
    大正上皇陛下への通称は「(五郎衛門どん=)ごりんどんのおっさま」という。
    氷見市に移り住んだ、おっさまは、家を一軒与えられ、嫁ももらった。そのうち、かわいい子供もできた。決して、種無しなどではありませんでした。

    ある時、風の強い夜に家が揺れ、壊れて崩れた。
    上皇様は逃げのびたが、妻と子供が家の下敷きになって死んだ。
    壊れた家をよく調べてみると、柱や梁にのこぎりで幾つも切れ目がいれてあり、壊れやすい細工がしてあるのが発見された。
    ここでもテロが行われたのです。上皇様は、以後喋らなくなりオシのふりをして、過ごされるようになったそうです。
    2020年07月20日 11:21
  • 弥生艶葉樹

     滝山善一さん、情報どうもありがとうございます。
     「大正上皇」と言い、Wikipediaによる大正天皇の死因は「肺炎による心臓麻痺」と言い、何か現在の状況を暗示させる気がします。
     大正上皇の崩御はいつかご存知ですか。
    2020年07月20日 12:34
  • 滝山 善一

    申し訳ない上皇陛下の詳しい死亡年月日は知りません。
    それに至る経緯は、伝わっています。
    大正上皇様は、中田OOと改名していたはずですが、他家の戸籍簿を覗けませんので不明です。志げの腹違いの妹の家が、上皇の戸籍簿を盗っています。

    上皇陛下は、90歳の長寿の祝いを市長から受け、手渡された賞状を大きな声で読み上げた~と伝わります。

    そのころ、上皇様は志げの弟から家庭内暴力を受けておりました。その男は毎日毎晩、上皇様を殴っていたそうです。
    上皇様は「何すんがや、止めんか~」などと、あらがっておられたようですが。
    中田九松はとう故人になっていて、暴力を止めるも者が居なかったようです。
    ある朝(昭和45年9月以降)、上皇様は冷たくなって、発見されたそうです。

    中田家の家族のものが、志げの弟に「あんた、その人ねえ、大正天皇やった人ながやよ~」「知らんだがけ~」、、と話していたそうです。
    後日、志げの弟は、早死にしています。
    後、上皇の戸籍を盗っていった家は、志げの腹違いの妹の家でイタリア系(中田姓です)。




    2020年07月20日 15:25
  • 弥生艶葉樹

     ありがとうございます。
     闇雲に調べるより、照準が絞れて助かります。
    2020年07月20日 15:39
  • 弥生艶葉樹

     滝山善一さん
     大正上皇の崩御日が分かりました。
     1975年6月24日です。
    2020年07月20日 17:33
  • 滝山善一

    弥生艶葉樹様、ありがとうございます。

    ~そうですか、石垣純二氏の後でしたか。
    1975年(昭和50年)頃は、氷見市に行かなくなった頃ですので、そこで何があったのかを知りません。
    私は、子どものころに母に連れられて、ごりんどんのおっさまに会いに行っています。
    公開情報のほうにも書きましたが、おっ様は、畑仕事や草むしりや、カマスあみ、草鞋づくりや、縄ない(わら縄づくり)、しめ縄飾りづくりなどの、わら細工が得意でした。
    2020年07月20日 21:21
  • 滝山善一

    長くなってすみません。
    大正上皇陛下は、1879年8月31日生まれと発表されていますが、実際の年齢は2歳以上は年寄りだったそうです。
    ですから崩御時の実年齢は98歳以上という高齢になってきます。
    2020年07月20日 21:33
  • 滝山善一

    伝承されている話を一つ加えて終わりにします。
    現在の氷見市島尾で、大正年代に五郎衛門(=中田久松)の実父の元徳川15代将軍、徳川慶喜氏が息を引き取ったと伝わっています。

    参考資料として「徳川歴代将軍の死と葬儀」1992.06
    2020年07月28日 21:31
  • 弥生艶葉樹

     滝山善一さん
     徳川慶喜は1936年8月9日に逝去しています。生誕日が正しければ98歳の長寿でした。
     Wikipediaでは1913年11月22日となっていますが、歴史上の人物の死亡日など、案外間違っていたり、操作されている場合があるんですね。
    2020年07月28日 23:36
  • 滝山 善一

    石垣純二氏の死去は、1995年10月23日頃、手術中の輸血の失敗による医療事故と聞いています。
    何でもご本人が、記憶していた血液型が実際とは違っていた為に、輸血後血が固まって死んだ(血液型不適合)。
    ですが、これも当時の状況にかんがみて判断すると、おかしな後日談を聞いています。
    石垣純二氏の死後にアメリカのギャング(マフィア)たちが、パーティーを開いて「これで日本が盗めるぞー」前祝をしていたそうですから、彼らの差し金による、医療テロだったのかもしれないですね。
    石垣純二の死去の公表は、翌1976年2月になりました。
    2020年08月14日 12:59
  • 弥生艶葉樹

     滝山善一さん
     石垣純二氏は、1995年10月23日に亡くなられています。
    2020年08月15日 10:03
  • 滝山 善一

    有難うございます。
    石垣純二氏は、死んだふりをして生き延びていたという事になります。
    昔の大金持ち達は、子どもが一人生まれるたびに、5人分の届けを出し、数軒分の財産を手に入れてきました。彼の家もそうだったと判断します。
    2020年08月15日 11:42
  • 滝山 善一

    弥生艶葉樹様、お世話になります。
    コメント欄を読む方が、間違わないように、後日の検証で、正された間違いを訂正して記しておきます。

    故、石垣純二氏の正しい死亡年月日は、1976年1月30日です。死因は、飲食物を使った他殺でした。
    彼のモナドの存在位置は、シリウス界にあるそうです。
    2020年09月09日 07:35

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Excerpt: *  鬼塚英昭氏を初めて知ったのは、YouTubeで『日本の真相』なる動画を視たときだった。  いつのことだったか正確な記憶はないが..
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信じる、信じない、-248
Excerpt: 「信ぜよ、さらば救われん」  ある宗教を信じ込ませるための名文句である。  信徒が救われないと文句を言えば、それは信心が足りないからだと言い返せる、用意周到な言葉である、と言うようなことを、ラジオ..
Weblog: 弥生艶葉樹(やぶつばき)のやぶの中
Tracked: 2018-12-16 12:09