合わない薬やめました-20

 2015年1月14日、受診した神経内科で毎月打っていた点滴を、この日断った。
 先月打った際、点滴の針やチューブを止めるテープにかぶれたからだ。このテープは普通のテープにかぶれるようになってから、刺激の少ないものに替えていた。点滴を始めた頃は、普通のテープも平気だった。
 医師から病名を伝えられたのは、2013年4月10日のことで、その病気に認可された薬が一つしかなかった。その月から飲み薬を日に2回服用し、通院の際には点滴を併用した。10月2日には、蕎麦を食べたら体が痒くなったから、血液検査をして食物アレルギーを調べたが、アレルギーは無かった。その後点滴のテープにかぶれるようになり、自分の判断で薬は飲まなくなった。2014年2月19日の受診の際に飲み薬を止めたことを医師に伝えたところ、痒みやかぶれを抑える薬を出そうかと言われ、それは断ったが、月1回の点滴だけは相変わらず続けられた。
 そして冒頭に戻るわけだが、点滴を断ると、医師は、それなら薬を飲まなければならないと言い出した。もちろんそれも断った。認可された唯一の薬を断わると、今の西洋医学にはもう治療法は無くなって、通院の必要もなくなる。医師の仕事は、決められた治療法で治療することで、自分勝手に逸脱することは許されない。だが、こうして副作用が現れているのに、全く受け取ろうとせずにひと事のように受け流し、薬を使い続けるのはどうしてだろう。医師の仕事は、病気による苦しみを治療によって和らげ、取り除くことであるはずなのに、治療によって逆に苦しみを与えているのは、本末転倒も甚だしいし、苦しみを与えていることすら気づいていない態だ。都合の悪いことを無視するのは、悪人の特徴である。
 唯一の治療法を諦めてしまえば患者を見放すことになる、などともっともらしい言葉が浮かぶが、こういう貧乏神のような医師には見放された方が余程良い。要は、医師の患者を支配する欲望が満たされるためにだけ、治療がなされているのだ。
 言い換えれば、医師に患者への愛はなく、野心だけがある。あるいは、欺瞞1ー3でも述べたが、朱子学の修養法で言うところの居敬窮理の居敬がない。これは医師として、人として、根本的な欠格だ。
 テープにかぶれるようになってから、ボディーソープにもかぶれるようになった。それで、試しに液状石鹸から固形石鹸に替えたら、運良くかぶれが消えたが、間があってまたかぶれが出てきた。また液状石鹸に戻したが、かぶれは消えずに残った。点滴を断った日に、皮膚科で診て貰い塗り薬を処方された。これは塗ってみたら効く気がする。薬を使って効くか効かないかは、体は何となく分かるものだ。効かないものには邪気が感じられる。
 さあ、邪気払いが済んだ。これからは良い方へ進んでいきそうだ。
 薬物療法(アロパシー)は手立てが無くなったので、これからはマントラ・テラピーで行こうと思う。竹下雅敏氏の東洋医学セミナーで覚えたものだ。ホツマツタヱにあるフトマニ図の日本語のマントラを使って、増悪したドーシャを減少させるのだ。
 このマントラは、個人名を使って導き出されるから、個人専用に調合された薬のようなもので、なおかつ副作用が全くない。
 私はビリルビン値が2回ほどやや高く、血液検査で1.73あったが、マントラを2週間胸ポケットに入れていたら、1.16の平常値に下がったという経験がある。
 少なくとも対症療法なら、西洋医学の薬よりも安全で安価で簡便であり、効果も充分だと思う。

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